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北極冒険の時間と思考“単独徒歩による北極探検を続けてきた荻田泰永は、携帯する装備に過剰な期待はしない。 そこには行ったものしかわからない極地冒険で必要な知恵とは?”

海氷の圧力で壁のように隆起した巨大な海氷ブロックが見渡す限り広がる。海氷ブロックを超えるためにソリをロープで持ち上げては下ろすことを繰り返していると、一日で4キロほどしか進まない日もある。

VOL.3 極地では、「風」が行く先を教えてくれる

北極や南極は、見渡す限りの一面の白い世界だ。よく尋ねられるのが「目標物もないところで、どうやってまっすぐ進むのか」という質問だ。北極であれば、足元は凍結した海。遥か数百キロ先の目的地まで風景の変化はない。南極であれば、南極大陸の上での活動になるので、海よりは目標物があるかと思いきや、そうでもない。南極というのは、数十万年をかけて降り積もった雪が堆積し、内陸に向かってその厚さを増していく「氷床」と呼ばれる氷が陸地を覆い尽くしている。南極点まで行くと標高は2800mを超えるが、それは山の上ではなく、堆積した氷床の厚さだ。南極氷床の表面は、見た目では分からないほど緩やかに傾斜しながら内陸に向けて標高が高くなっていく。山も谷も、分厚い氷の下に閉じ込められ、進路を決めるための明確な目標物は存在しない。そのような極地の環境において、どうやって進路を決めていくか。

私が最も多用するのが、太陽の位置と時間の関係性から方角を決める手法だ。その理屈は前々回のこの連載で紹介したので、知りたい方はご一読いただきたい。時計というのは、その原型が「日時計」であることからも分かる通り、太陽の動きを擬似的に機械で表現したものだ。時計と太陽の動きには明確な相関性があり、それを把握することで方角を決めることができる。

極地を歩いていて、毎日晴れているとは限らない。雲が厚く、太陽の位置が定まらない日も多い。そんな時は何を参考にするか。太陽と時間の相関性と同じくらいに多用するのが、風向きと風紋の角度だ。風は日によって吹く角度が変わるが、季節などの条件ごとに、一定方向から吹く頻度が高くなる卓越風という風がある。例えば、私がカナダから北極点を目指した時は、北極海には北西からの卓越風が吹く。その風は、海氷上の雪を削り、風向きに従った風紋と呼ばれる筋を作る。その地点ごとの卓越風がどちらから吹くか、それによる風紋の角度がどの方角に発生するかを理解していれば、足元の風紋の角度を見ることで方角を定めることもできる。

北極海において、巨大な海氷のブロックが氷上に露出した「乱氷帯」を歩いている時。自動車大の海氷がいくつも積み上がり、それが見渡す限りあたり一面を覆い尽くしているような箇所によく出合う。どちらの方向に進めば、比較的乱氷が低く、進みやすいかどうか。それを目視で知る手段はないのだが、使える手段が一つある。私はそれを「風に従う」と呼んでいる。乱氷帯を歩いている時、それまで吹いていた風が氷のブロックで遮られ、無風に近い状態になることがある。しかし、そんな中で乱氷の低い合間に、風が吹き抜けることを感じる。その風を辿っていくと、その先には乱氷が途切れた平坦な海氷が広がっていることを教えてくれるのだ。

ここまで読んでいて、おそらく「方位磁針(コンパス)」は使わないのか、と思うかもしれない。私が北極を歩く中で、コンパスはほぼ使用しない。地球の地磁気には、地球内部に向かって磁力線が鉛直方向に出入りする南北の「磁極」が存在する。私が歩く北極の地域は、北の磁極に極めて近い場所になる。磁極に近い場所では、理論上はコンパスの針が「足元」を指すということになる。つまり、磁極の近くではコンパスが極めて不安定、不確定になるため、実用性が乏しくなるのだ。

自分が地球上のどの場所にいるのか、緯度と経度を知るためには人工衛星からの電波を利用したGPS を使う。しかし、GPSをナビゲーションに使うことはほぼない。GPSは座標としての数字は教えてくれるが、足元の雪や氷は考慮されていない。極地の現場において、最も効率的に進路を教えてくれるのは機械ではなく、太陽、風、雪、氷などの自然と、その自然に向き合い続けることで磨いてきた観察力、そして、自然を活かす人間の知恵自体が、自らを助けるのだ。


Yasunaga Ogita
日本で唯一の北極冒険家。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年まで20年間で16回の北極行を経験し、北極圏各地を10000km以上も移動する。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外からのメディアからも注目される。2018年1月5日(現地時間)には日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功。北極での経験を生かし、海洋研究開発機構、国立極地研究所、大学等の研究者とも交流を持ち、共同研究も実施。現在は神奈川県大和市に、旅や冒険をテーマとした本を揃える「冒険研究所書店」も経営する。

2023年9月「HORLOGERIE]本誌より引用(転載)

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