播州の山間の町、佐用には日本の原風景があふれている。

兵庫県の佐用町といえば、平成21年に起きた水害で記憶している人もいるだろう。かつての播磨の国だが、播州と言えば姫路や赤穂の名が浮かび、山間部の佐用は中国道こそ通っているものの分が悪い。おかげで商業的な観光と無縁な、のんびりとしたドライブが楽しめる。

古い景観をよく残した宿場町・平福で街道歩きと川端散歩。

佐用I.C.を降りて向かったのは平福の街。作用川沿いに歴史的な景観が美しいかつての因幡街道最大の宿場町だ。宮本武蔵が最初の決闘をしたという金倉橋のたもとに駐車できるスペースを見つけて散策を楽しむ。

街道と川向こうの遊歩道を通って一周してみると、時間の流れがとてもスローになる。よく手入れされた町屋が連なり、川端の景観は特に美しい。上品な温泉町のような風情だが、温泉は湧いていない。

家と家の間に街道から川端へ通じる路地があり、初夏の日差しを浴びたコントラストが贅沢なワンシーンとなって記憶に刻まれた。

見下ろすように迫る山の山頂には利神城跡の石垣が残るが、街から見上げても見えない。少し離れてから見ると、唐突に山頂の尖がりが削られているのを確認できる。

天空の城として近年たくさんの人が訪れる竹田城と同じく、霧の中に浮かぶ姿が幻想的で突雲城の別名もある。

◆平安時代から営々と引き継がれた棚田の景観を見渡す。

次に向かったのは農林水産省の「日本の棚田百選」にも選定されている乙大木谷の棚田だ。平安時代から拓かれたという約23ヘクタール・1000枚の棚田に圧倒される。

新緑がまばゆい谷にロープを渡し、鯉のぼりが揺れていた。隣の田和地区にも棚田が広がっているので、車で往復すれば気に入った景観に出会えるだろう。集落の高い位置には展望台という名のお堂があり、気持ちのいい風が吹き渡っていた。

できれば秋の収穫前の時期にも訪れてみたいし、ここの田んぼで収穫されたお米も食べてみたいと思った。近くには陰陽師で有名な安倍晴明の塚も祀られている。

◆三日月藩陣屋の裏手には明治時代の学び舎がひっそりと。

帰路は少し走って三日月にある三日月藩の陣屋へ。訪問日は休館だったので内部は見られなかったが、堀と復元された門構えは威風たっぷり。正面の畑にはルピナスが植えられきれいな花を咲かせていたが、江戸時代の建物に洋風のルピナスはどうなんだろう。

せっかくなので裏へまわってみると、映画のセットのように砂利を撒いた駐車スペースになっていた。これはご愛嬌だが、隣接する列祖神社の境内に趣きのある建物を発見。

三日月藩の藩校として開かれ、明治~昭和にかけて小学校として使用された廣業館だ。この地に移築されたものだということだ。かなりくたびれてはいるが、小さな山間の町の心意気が伝わってきた。

現在も柔道場として使われているらしいが、こういった学び舎に通った経験がなくても懐かしさに包まれる存在感がいい。窓ガラスもよく見ると微妙にまっ平ではない歪みや気泡が残っている昔のものも半分ほどあり、いい味を醸している。陣屋を訪ねてきたものの、おまけでとてもいいものを見させてもらった気分だ。

◆滝の下まで歩み寄り、細かな飛沫を浴びながら深呼吸。

最後は南下して飛龍の滝へ。車で100メートルほど手前まで行けるのがありがたい。そこからは急な階段が続くが、地元の方の厚意で竹杖が使えるように置いてある。汗をかくほどもなく滝へ到着。

夕方とはいえ、まだ日も高い時間だったが周りの斜面は切り立ち、一気に日没前の薄暗さだ。大迫力ということはないが、三段になって落下し、滝のすぐ下まで近寄れるのがいい。

古い石橋や燈篭もあってかつては滝行も行われたと推察できる。気温もヒヤッとしてマイナスイオンに満たされているのがわかる。また、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」のタイトルバックの撮影が行われたと案内看板に書かれていた。

半日ほどで4ヶ所をゆっくりと巡ったドライブだったが、いずれもどこか懐かしさを感じさせ、「大観光地」になっていないのが何より落ち着けた。大阪や神戸からも高速を使えばすぐ。ぜひともおすすめしたい穴場だ。

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