早助よう子『恋する少年十字軍』書評:想像の泡が着地する時

白昼夢と名づければ大げさだけれども、たとえば歩いている時や何か作業をしている時にふと、小さな想像が生まれ出でて宙に浮かび、それに一瞬だけ取り憑かれてしまうことがきっと誰にでもある。小さな想像はつかのまわたしの視界を旋回して、それからまるでしゃぼん玉の泡が地面に落ちるようにふんわり着地し、ぱちんと弾けて我に返る。我に返るけれど、返ったあとのその世界は夢想する前とはほんの少し異なった世界であるような心地がする。
その想像が記憶に残るものであろうとなかろうと、何かの拍子にひとたび想像を生んでしまったら、きっと人はそれ以前の世界には戻れない。

早助よう子の描く小説世界はそんな不思議な、しかし不思議であるからこそ懐かしくて肌馴染みのよい、稀有な読み心地を読者にあたえてくれる。

早助よう子の出版の仕方はほんの少し風変わりだ。柴田元幸主宰の雑誌『monkey business』2011年冬号に公募として短篇小説「ジョン」が掲載となりデビュー、以来目利きの読み手たちが注目し、いくつかの媒体に短篇を発表、十年の間に書き溜めたものや書き下ろしをまとめたポピーの挿画がうつくしい私家版短篇集『ジョン』を自費出版で刊行した。

『ジョン』は自費出版という枠を冒険的に飛び越え、数々の書店や書評家、作家たちの熱烈なプッシュにより勇ましく全国に(そしてまた世界に)広がっていった。
ISBNの刻印されていない野良犬のような本。作者の手により一冊一冊が大切に出荷され、多くの読者のもとへと拡がっていく様子は、表題作「ジョン」のラストシーンそのもののように逞しい。

「ジョン」のラスト、野宿者支援者である主人公のヨーコはホームレス(野宿者)から正式に犬を受け取り、飼うことを決め、自身も川沿いに住み、犬とともに生きていく。そんなヨーコを見て、かつて同志だった野宿当事者支援者会議の面々は、彼女が今でも支援者であるのか、それとも野宿当事者であるのか、支援者が野宿当事者と親密な関係を結ぶことによる運動への影響について、喧々諤々熱い議論を交わす。

「ジョン」が書かれた後の偶然ではあるものの、このラストの光景は、大手出版社からではなく私家版として野良犬的短篇集『ジョン』を上梓し、大手新人賞デビューではない小説家として大手出版社の掌握する文芸の世界をしたたかに駆け抜けていき、そして今後の文芸世界の舳先を左右する存在となった早助よう子を追いかける〈彼ら〉の、滑稽なすがたを描くカリカチュアのようだ。

今ジョンは、この極東の国におけるグローバル・ジャスティス運動の盛り上がりを裏付けるささやかな役目を背負って、世界中の子供部屋、地下室、路上、空き地に据え付けられたラップトップ・パソコンで、不法占拠中のビルの白く塗られた壁で、そしてこの腐敗した社会を生き延びようとする無名の若者たちの魂のうちに、その吠え声を遠くまで響かせている。

『ジョン』刊行から約一年経った2020年の秋、勇ましい野良犬の吠え声は世界を瞬く間に駆けめぐり、二冊目の小説集『恋する少年十字軍』が河出書房新社より発売となった。

表題作『恋する少年十字軍』は、早助よう子の特徴が目一杯に生かされつつも、これまで発表されてきた作品のなかでもとくに読みやすい。

主人公は突然職を失ってしまった〈あなた〉。時間を持て余した〈あなた〉は親友の周子に二十年以上ぶりに会いに出かけるが、なんとその周子に子どもたちの世話を押し付けられてしまう。周子は恋人とグアムに旅立ち、〈あなた〉は名古屋市の郊外に建つ小さなアパートで九歳の少年・瞬点およびその下の子である四歳児と生活することになる。
〈あなた〉と子どもたちの暮らしは、まるで子どもが三人、秘密基地に寄り集まっておままごとをしているかのようにどこかあやうい。
 瞬点は利口かつ冷静な子どもで、大人びた言葉遣いで〈あなた〉にわがやの家事の指示を出したり、免許の必要性を説いたり、てきぱき四歳児の世話をしたりする。
 その一方で万引の常習犯で、そして実は自家製爆弾を密造していたりもするのだった。
瞬点はやがて警察当局から放火犯としてマークされる。国家に追われる少年テロリストとして潔く振る舞う瞬点に感化された〈あなた〉は、唐突に「あたしが逃がしてあげようか」と提案、そこから二人の数日の逃避行の旅がはじまるのだ。

早助よう子の書く文章は一行ごとに飛躍する。

彼女を見つけ出した柴田元幸は『ジョン』の帯に《社会批判も政治意識もこの小説集は含んでいるけれど、それ以上に魅力的なのは、次の一行がどうなるかわからない、その予測のつかなさである。次はどんなボールが来るのか――そもそも来るのはボールなのか?》と推薦文を寄せているがまったくその通りで、とある一行からはじまった物語は、一行読み進めるごとに奇妙な感覚でずれ、移相してゆく。その一行自体は〈通常の日本語〉で構成され、誰にでも理解できる文章であるにもかかわらず、しかし次の一行の内容は、物語の因果関係を絶妙にゆさぶるようなずれを孕んでいるのである。
面白いのは、一行一行に目を凝らしてミクロに読めば因果関係の破綻した世界であるのが、けれど顔を本から離してどんどんページをめくり、マクロに読んでみると、いつのまにか因果関係の確かな、リアリティたっぷりの物語に〈なっている〉というところだ。
これこそが早助作品の醍醐味といえる。

いつか見た気のする夢のなかで、相手の顔を間近に確かめようとしてもどうしてもできないのに、なぜだか最初から知っているとわかっている時のような。
ふと生まれた想像の泡が、つぎつぎと連射されては空や地面にはじけ、その泡の跡にほのかな石鹸水の匂いだけが目に見えずいつまでも漂っているような。

倉橋由美子や多和田葉子の初期作品に触れた時の感触ととてもよく似た、不思議に心地よい言葉と物語の跳躍が、早助よう子の作品世界にはある。

『恋する少年十字軍』も、一行一行や光景をミクロに読んだ時と、最後までページをめくりきりマクロに眺め下ろした時とでは、まったく世界が異なっている。瞬点との逃避行を切り上げ、子どもたちを置いて名古屋郊外から自宅へ飛ぶように戻った〈あなた〉のその後の展開に、読者はあっと驚愕する。一行ごとの飛躍だったこれまでの文章が、飛躍でありながら伏線でもあったことに気がつくのだ。タイトルの意味も、主人公が〈あなた〉である意味も、ラストで鮮やかに明らかとなる。

でっぷり太った女が、喫茶店のテーブルにくまのぬいぐるみを置いて会話を交わしている。会話に耳を傾けてみると、味わいが深い。長くストレスにさらされ、抑鬱状態にあった脳に変化が生じ、ある日、しゃべるはずのないくまのぬいぐるみがしゃべり出す。生き生きとした好奇心や、かつては次々咲かせてみせた社交性の花がふたたびひらく。自分の妄想と親しくつきあう。それは、いつかは裏切られると分かっている不実な恋人に我が身を捧げるのと同じことなのだろうか。あなたは歩き出し、考える。裏切られる前に、裏切ろう。あなたも、目に涙のにじむ苦いコーヒーを飲み、甘いケーキを食べて、くまのぬいぐるみと親しくしゃべりたい。恋愛の比喩を使うと、長くてこんがらがった問題もすぐに解決の糸口が見つかる。それは、あなたが恋愛体質だからだろうか。

作品冒頭のこの〈あなた〉の物想いが、『恋する少年十字軍』のすべての出発点であるのだろうとわたしは思う。けれどその気づきも、二度、三度とくりかえして読めば泡のように消えて、その匂いだけを残し、次に生まれ出たべつの泡をいつのまにか目で追っているから不思議だ。

一度ふとした想像を生んでしまったら、忘れようが忘れまいがもう二度と想像の前には戻れないように、早助よう子を読んでしまったら、早助よう子を読む前にはきっともう戻れない。わたしたちはもう、次から次に生まれてくる早助よう子の言葉の泡の、その残された匂いをひたすら追うほかないのだろう。

*『ジョン』早助よう子, 私家版, 2019年6月刊行
*『恋する少年十字軍』早助よう子, 河出書房新社, 2020年9月刊行

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