【北極冒険の時間と思考】“冒険とは破天荒で、無謀な行為なのだろうか。 決してそんなことはなく、優れた冒険家ほど、 冷静にリスクマネジメントをしているものだ。 荻田泰永が考える、社会性を持つ 冒険家としてのアティチュードとは?”

極地冒険は、氷点下50度、揺れ動く海氷ブロックなど、危険な環境を受け入れることから始まる。そして文明社会との違いを認識することで、社会との関わりを深めていくのである。
VOL.4 文明社会に新しい視座をもたらす“冒険”という行為とは?
私は「北極冒険家」を名乗っている。「冒険」とは、言葉を分解すれば「危険を冒す」ことであり、行為の前提としてリスクが存在していることを意味している。では、私は北極に危険を冒しに行っているのかと言われれば、これは反論したい。確かに北極は危険な場所だ。氷点下50度、ホッキョクグマの襲来、揺れ動く海氷上での活動、全て危険である。が、危険を冒すために北極に行くのではなく、行った場所に危険が伴っているだけだ。危険だからこそ、経験、知識、身体、装備、準備を用いてその危険を回避しながら計画を遂行していく。そこに問われるのは、自分の頭で考える主体性だ。
危険だからこそ、主体的に考える。危険という条件が行為全体を満たしているからこそ、主体的な冒険になる。危険がなければ冒険にならないが、危険を冒すために冒険をするわけではない。例えると、マラソンを走るには酸素が必要だ。酸素がなければマラソンにならないが、マラソンランナーは酸素を吸うために走っているわけではない、そんな具合だろうか。
「圧倒的な危険」という前提条件があるからこそ、極地では都市生活で眠らせていた身体性が発揮されていく。私は極地に身を置くと、五感が研ぎ澄まされ、特に聴覚が異常に鋭くなっていく。社会生活では、自分の身を社会のルールやシステムが守ってくれる。高度に設計された工業システムは、暑さや寒さ、ゲリラ雷雨や豪雪などの自然環境から我々の身を守ってくれる。しかし、その環境に慣れると、人間は自分で考えることを次第にやめていく。本来持っている、動物としての鋭敏な五感の感覚を減退させ、知らずとシステム依存に陥る。社会システムが安定している時はそれでも良い。しかし、震災や異常な豪雨など、人間の構築したシステムを自然の猛威が凌駕した瞬間、自分で考えることをやめた人間は自然に対して身を守ることすらできない。
北極や南極にたった一人。社会システムという守られた城壁の外側に身を置いた瞬間、他者依存の五感減退状態からスイッチが切り替わる。冒険家という行為者が本来的に持っている役割として、社会システムの外側で駆動している自然の世界、人間社会の限界をシステム内で安住する人々に知らせるということがある。
私が感銘を受けた本の一節がある。アメリカ人の詩人ポール・ツヴァイクが本の中に書いた一節だ。「冒険者は、自らの人性の中で鳴り響く魔神的な呼びかけに応えて、城壁をめぐらした都市から逃げ出すのだが、最後には、語ることのできる物語をひっさげて帰ってくる。社会からの彼の脱出は、きわめて社会化作用の強い行為なのである」この一文には、冒険者の心性が詰まっていると私は思う。
社会的な理由も価値も、意味も伴わないが、自らの内側から湧き上がる衝動や好奇心を「魔神的な呼びかけ」と喩え、冒険者は「城壁」から逃げ出す。城壁に守られた社会の外側で彼はやがて「語ることのできる物語」を得て、城壁に帰還する。城壁内の人々にその物語を伝えることで、彼の一連の行為は「社会」と交わり、はじめて意味や価値を得ることとなる。冒険行為の前に意味は用意されておらず、社会に伝えることで意味は見出される。
冒険なんてやって、なんの意味があるのか。そう問われることもある。開き直るようだが、そんなことはやってみないと分からない人為的な未来予測、効果最適化、コスパの向上、全ては城壁内の理屈だ。その「城壁」は、人間社会という広い範囲だけでなく、国単位、地域、会社、学校、あらゆる集団にも存在する。それを人は常識と呼ぶ。常識という城壁を乗り越え、固着した社会システムに新たな視座をもたらす存在が冒険者なのである。
Yasunaga Ogita
日本で唯一の北極冒険家。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年まで20年間で16回の北極行を経験し、北極圏各地を10000km以上も移動する。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外からのメディアからも注目される。2018年1月5日(現地時間)には日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功。北極での経験を生かし、海洋研究開発機構、国立極地研究所、大学等の研究者とも交流を持ち、共同研究も実施。現在は神奈川県大和市に、旅や冒険をテーマとした本を揃える「冒険研究所書店」も経営する。
2024年3月「HORLOGERIE]本誌より引用(転載)