• HOME
  • ブログ
  • TRAVEL
  • 【北極冒険の時間と思考】経験の浅い若者が文明の利器に頼らず 北極圏を歩いたとき、ある問題にぶつかった。 その問題解決に冒険行為を通じて、 荻田泰永が伝えたかったこととは?

【北極冒険の時間と思考】経験の浅い若者が文明の利器に頼らず 北極圏を歩いたとき、ある問題にぶつかった。 その問題解決に冒険行為を通じて、 荻田泰永が伝えたかったこととは?

一面の銀世界で巨大な海氷ブロックが広がる北極では、距離感がわかりづらい。危険を回避しながら、経験がものをいうのが極地での冒険だ。

 

VOL.7 「見て」いるものと、「見えて」いるものでは、世界は大きく違う

2019年春。私は、20代の若者たち12名を率いて、カナダ北極圏の徒歩冒険に出た。「北極圏を目指す冒険ウォーク」と名付けられたその旅は、アウトドア経験もろくにないがやる気だけはある若者たちと、約一ヶ月、600キロメートルの氷の世界を踏破するものだった。それは、私が先輩から引き受けたバトンを、次世代の若者たちに繋ぐものでもあった。

一人一台のソリを引き、600キロメートル先のゴールを目指し、海氷上を歩く。出発直後は、私が先頭に立って進路を決めながら歩いていたが、旅も2週間を過ぎた頃から若者たちにナビゲーション方法を教え、先頭を譲り、彼ら自身で進路を決めて歩かせることとした。

ある日、隊列を組んで歩く先頭の数名が集まり、何やら進路の相談をしていた。私は彼らに近付いて、何を悩んでいるのかと声をかけると若者の一人が答えた。「進路の先の水平線に、二つの島が並んでいるんですが、地図を見てもそんな島が描いてないんですよね。あの島は、どれなんだろうかと思って。方角を間違えているのか?」

凍った海の上を歩く私たちが目指す進路の先に、確かに島が二つ並んで見えている。しかし、地図にはない。私はヒントを与えた。「そうだね。でも、あの二つの島の、雪を被っていない岩壁の様子、よーく見てごらん。何か気付かないか? 岩壁の色が、二つで微妙に違うでしょ」「確かにそうですね。そう言われてみれば。片方は黒々してて、片方は微妙に色が薄いですね。そうか、距離が違うのか!」

メンバーの一人が気付いた。「その通り。地図をよく見てごらん。あの方向に、手前に小さな島と、遠くに大きな島があるでしょう。二つが同じくらいの大きさで並んでいるように見えるけど、実は距離が違うんだよ、それは色を観察すると分かる」

私と若者たちは、同じ場所から同じものを見ている。しかし、私は最初から二つの島の距離が違うことに気付き、その事実が見えている。しかし、若者たちは見えていない。「見て」いるものと「見えて」いるものの違いがここにある。私は、これまでの長年の極地冒険によって、まだ経験が浅かった頃には見ていながらも見えていなかった事柄を、次第に見えるように積み重ねてきた。人は無自覚に、自分が見ているものが世界の全てであると感じてしまう。しかし、見ているものには、見えていない側面がたくさん隠れているものだ。

そして案外、人は世界を自分が見たいようにしか見ていない。見ているのに見えなかったことを、見えるようにしていく。これは、漫然と誰かの後ろを追従しているだけでは身につかない。主体的に観察する意志を持ち、果てしない実践と失敗を経て、その果てに「見える」ように身についていくものだ。自然に相対して、社会から切り離された冒険をしていると、都市生活者が無自覚に信じている「時間」という観念ですら、実は見えていないことがたくさんあると気付く。

私たちが利用する時計は、地球の自転を機械的に再現したものだ。時計とは、地球の存在が主であり、時計は従である。私も若く、まだ極地冒険の経験が浅い頃には、時間という人為的に作り出された概念に縛られていた。しかし、数字で表された時間というものは、自然の中ではあくまでも便宜的であり、従属的なものでしかないと気付く。私は腕に巻かれた機械式時計の向こう側に、地球の自転と太陽との関係性を、身体的に感じるようになっていった。

時計を地球的な視座で身体的に理解するためには、時計を身につけ、大自然の中を放浪するような体験をお勧めする。きっと、都市では気付かなかった発見に出会えることだろう。漫然と見ていたものが真の意味で見えるようになるのは、その時だ。


Yasunaga Ogita
日本で唯一の北極冒険家。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より2019年まで20年間で16回の北極行を経験し、北極圏各地を10000km以上も移動する。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外からのメディアからも注目される。2018年1月5日(現地時間)には日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功。北極での経験を生かし、海洋研究開発機構、国立極地研究所、大学等の研究者とも交流を持ち、共同研究も実施。現在は神奈川県大和市に、旅や冒険をテーマとした本を揃える「冒険研究所書店」も経営する。

2024年9月「HORLOGERIE]本誌より引用(転載)

関連記事一覧