本書のまれびと、チャラ男の神話・絲山秋子『御社のチャラ男』書評

チャラ男という言葉がこの国で当たり前のものになってどれぐらいの年月が経ったのか、正確なところはわからない。

Wikipediaに書いてあるようにチャラ男といえばオリエンタルラジオで、彼らの武勇伝ネタはわたしが子どもの頃にそうとう流行っていた。
四六時中、ブユーデンブユーデン♪ブユーデンデンデデンデン♪のメロディをクラスのどいつもこいつもが口走り、手を猫のように丸めながら明けても暮れても踊り狂い、ちょっとさすがに流行りすぎだろうと思わずにはいられなかったものの、確かにスポットライトを浴びて武勇伝を披露するあっちゃんという存在はその振る舞いもエピソードもなんだかすごくかっこよかったし、それを支える藤森慎吾は「すごいよォ〜、あっちゃんすごすぎるよォ〜〜」「かっこウィ〜〜!」とニヤニヤ叫んで崩れ落ちる度、通常の意味の腰巾着ぶりをはるかに超えてチャラいと言えた。
テレビで観てひたすらげらげら笑っていた記憶しかない。

チャラ男は〈笑い〉と繋がりやすい。
というか〈笑い〉と表裏一体なのである。

そしてまた、ネタの冒頭を飾るお決まり文句として藤森慎吾が「あっちゃんいつものやったげて!!」と指差すように、どこのチャラ男もみんなに向かっていつも、〈いつもの〉を〈やったげる〉のである。

絲山秋子の新刊小説『御社のチャラ男』、本書のチャラ男も、そんなチャラ男の習性に忠実だ。

本書はオリーブオイルやビネガーなどを扱う「ジョルジュ食品」の営業統括部長・三芳道造(44歳)をめぐる社内の常事珍事をコミカルに、かつあっさりとした語り口で綴るいわゆるお仕事小説であるのだが、社員たちからひそかにチャラ男と呼ばれるこの三芳部長も御多分にもれず、女性の新入社員をバーに誘った折、ついつい〈いつもの〉を〈やったげ〉てしまい、女性社員を呆れさせてしまう。

 車のなかでお母さんに訊いた。
「メンターってなにかわかる?」
「OJTの指導者じゃない? 指導される側はメンティー」
「セルフインスペクションは? アジェンダは? ローンチは?」
「そういう言葉が好きなひとのことを、これ、私だけかもしれないけど、石北会計事務所って呼びます。なんでかわかる?」
「ダジャレ?」
「そう、意識高い系のこと」

『御社のチャラ男』によれば、チャラ男とはどこにでもいるらしい。

「チャラ男って本当にどこにでもいるんです。わたしもいろんな仕事してきましたけれど、どこに行ってもクローンみたいにそっくりなのがいます」
「さすがにクローンってことはないでしょ」
と言ったのだが、
「ほぼ同じです」と断言した。「外資系でも公務員でもチャラ男はいます。士業だって同じです。一定の確率で必ずいるんです。人間国宝にだっているでしょう。関東軍にだっていたに違いありません」

ところで、チャラ男は〈まれびと〉であるのだろうか、という疑問がある。

〈まれびと〉とは折口信夫が提唱した思想概念であり、評者的にはチャラ男という生き物はWikipediaを読むのが好きそうだなあと日頃からなんとなく思っているのでとりあえずそんな感じにWikipediaから〈まれびと〉の説明を引用してみると、〈まれびと〉とは《時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在》で、《まろうど》=客人が転じたものであるという。

古代ではよその国や村から客人がやって来ると、彼らが自分たちに祝福をもたらす存在であるとして盛大に歓待した。乙姫様のご馳走に鯛やヒラメの舞い踊りである。古代の村人にとってよその遠い世界はこことは異なる、常世とよばれる霊の世界と同義だった。
〈まろうど〉とはこの世に稀に訪れる〈まれびと〉であり、また、ひとではない稀な存在〈神〉なのだ。

〈まれびと〉は《さらに時代を降ると「ほかいびと(乞食)」や流しの芸能者までが「まれびと」として扱われるようになり、それに対して神様並の歓待がなされたことから、遊行者の存在を可能にし、貴種流離譚(尊貴な血筋の人が漂泊の旅に出て、辛苦を乗り越え試練に打ち克つという説話類型)を生む信仰母胎となった》。

本書のチャラ男・三芳部長の境遇は、この〈まれびと〉のWikipedia記事の内容にほぼ等しい。

三芳部長は四、五年前に社長の親類であるひとまわり齢上の有閑女性と結婚したのがきっかけでジョルジュ食品へやって来た。やって来たその日から部長の肩書きを授けられた。
新卒で石油化学工業の社員、それをやめて自分探しでアメリカ西海岸に半月ほど自分探しの旅に出掛け、飲食のバイト、ベンチャー企業、中古のPCや周辺部品を売るなどの職種に就き、様々な経験をした(といえば聞こえはいい)(部下たちは三芳部長がかつて西海岸のクラウドソーシング会社に勤めていたと思っている)。

その後よそからここへやって来て、毎日妙に洒落込んだキザったらしいノマド系スーツスタイル。しかし一体何の仕事をしているのか、そもそも仕事をしているのかどうか。本人は「自分は遊軍的な動きが求められている」のだと部下たちに胸を張るが、しかし営業指示や会議では中身がないのにやたら意識だけが高い〈いつもの〉を〈やったげる〉ばかりで、シャラシャラと着飾り焚き火のそばで弦をつまびき、夢見がちなセンスの言葉を歌い、女が寄って来るのを流し目で待つ、まるで古代の旅の芸能者であるかのようなその様態。

つまりジョルジュ食品という村にとって彼は、まごう事なき〈まろうど〉であり〈まれびと〉なのである。

まれびと信仰のもとになった貴種流離譚において〈まれびと〉はヒーローともよばれる。そしてまたヒーローとは物語の主人公の意味も持つ。
タイトルが示すとおり、本書のヒーローは三芳部長だ。
けれどこの物語は、三芳部長だけでなく、三芳部長をとりまく彼の上司や部下、のみならずその上司や部下の親や友人までをも含む周辺人物総勢13人の視点で、三芳部長について微に入り細に入り語られる。
とにかく全員が(本人までも!)、チャラ男・三芳部長をそれぞれの一人称の視点から分析していく小説なのである。

一人称の小説では誰がその光景を語っているのかが明らかだ。語り手・当事者の証言性がひじょうに高い。
けれど、証言性が高いことは信頼性が高いわけではない。それが主観的であるかぎり、けして客観的には語れない。
客観的にはなれないから、ヒーローを取り囲む現実はおのずと空白になり、現実に真実がなくなっていく。
しかしそれは虚しいことではない。その一人称で語っている〈語るわたし〉と〈語られるわたし〉がしだいに分裂し、葛藤がうまれ、そこにはもうひとつの物語が生まれてくる。
〈語られていない部分〉の面白さが滲み出てくるのだ。

小説とは、〈誰か〉から見られた誰かが描かれる存在だ。言い換えれば、〈誰か〉から見られることがなければ小説というものは成り立ち得ない。
では、一体〈誰〉に見られたら小説が小説として成り立つか?

〈誰か〉はとても流動的だ。ページをめくる度、エピソードが変わる度、〈誰か〉はつぎつぎにバトンタッチしていくかもしれない。
それはほとんど、〈噂〉の仕組みと一緒なのかもしれないと思う。

『御社のチャラ男』の三芳部長は、語り手13人の、そして周囲のすべてのひとからの、〈噂〉で出来上がった人物だ。

気弱な営業部部下の「おかっち」こと岡野繁夫(32歳)は三芳部長を心のなかで無理に褒め、逆に気の強い伊藤雪菜(29歳)は彼に苛立ちと反抗心を覚えつつ、じつはそのかろやかさを羨ましがる。社長のお気に入り総務の池田かな子(24歳)が三芳部長を冷静に観察し「ほんと無理」だと思う一方で、不倫相手で消費者サポート部門の一色素子(33歳)は彼を神のように尊び、ほんとうにわかってあげられるのは自分だけだと情熱的に恋し奉る。

〈誰か〉だけが見ることのできた三芳部長の一面、そこから引き出される自分自身の人生と仕事への葛藤。
〈噂〉で織られた物語のしくみは、神話のしくみととてもよく似ている。

〈誰か〉がひとつ噂を語りはじめれば、まるでネズミの繁殖みたいに噂をする〈誰か〉はどんどん増えて、すると〈噂〉の数もどんどん増えて、増えた〈噂〉で神様の、彼のかたちがどんどんリアルに多面的に形づくられていく。イザナギやイザナミも、アマテラスも、スサノオの八岐大蛇伝説も、みんな〈誰か〉の〈噂〉で出来ている。

チャラオノミコトも、きっとそのひとりに連なっていく。

そういう意味では確かにチャラ男は〈まれびと〉で、〈まれびと〉信仰はどこの世界にもあって、『御社のチャラ男』は現代における新しい神話なのだろう。

神話がそうであるように、現代の神話『御社のチャラ男』も、それぞれのエピソードのなかに重要なメッセージをいくつもいくつも潜ませる。

チャラ男の存在によって引き起こされた事件のひとつひとつが視点人物たちの思いと混じり合って、いま実際にわたしたちの現実で起きている、切実な社会問題への目配せになっている。
パワハラ、セクハラ、フェミニズム、ミソジニー。ロスジェネ問題。労働力を再生産するためのわずかばかりの余暇。アラフォー恋愛問題。地域格差社会。

平成から令和へ移り変わったばかりのこのいまの、そんなさまざまな問題を、〈まれびと〉チャラオノミコト三芳部長は、ジョルジュ食品という小さな村へ運んでくる。

チャラ男は良くも悪くもあらゆることを掻き乱す存在であるのだと、その混乱によって村に新しさをもたらし、そしてあっというまにその新しさは失われていくのだと、うつし世はただひたすらその繰り返しであるのだということを、この愉快な物語は、わたしたちにそっと耳寄せて教えてくれる。

*『御社のチャラ男』絲山秋子, 講談社, 2020年1月刊行

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